旅のキオク


旅って結構記憶に残っているもので、昨日暑苦しくてなかなか眠りにつけないなか、昔の旅の記憶を辿っていたら色々なことを思い出しました。断片的な記憶の数々はどうでもいいような内容のものばかりなんですけど、旅先でのちょっとした出来事というのは心に残ることなのかもしれませんね。
あと旅行に行くと、写真を撮ったのが残っていたりするから、写真を見て記憶が蘇るというのも多分にあるのかもしれません。

子供の頃
小さい頃、旅行といえば田舎に行くくらいでしたね(旅行というより帰省ですね)。
東京に住んでいて、鳥取まで電車で行く訳ですから旅と考えてもなかなかのものです(笑)
大阪万博に行った記憶があるようなないような、この辺は非常に曖昧なところです。今調べたところ大阪万博は1970年の3月〜9月まで開催されていたようです。僕は68年1月生まれだから、行ったのは2歳半くらいの時のハズです。2歳半のころの事を、本当に今でも覚えているのか?という疑問も多分にあるんですけど、なんとなく覚えているような気もします。
当時は妹が生まれる前のことであり、父親と2人で田舎に帰りがてら親戚の家に泊まって万博に行ったのですが、どこか分からないけどボートに乗ったのと、万博会場で迷子になって大変だった記憶が残ってます。う〜ん、本物の記憶かどうかは定かではありません。
余談ですが、子供の頃の僕は年中迷子になってたんですよ。親に言わせると、デパート行って迷子にならなかった事がなかったそうです。これは物心付く前もその後もしばらく続きます。

次の記憶は、小学1年生の時のことです。
夏休みに1人で田舎に帰ったんですよ!寝台特急の出雲で行ったんですけど、東京駅の列車の座席まで親に送ってもらって、近くの席にいた人にこの子は米子で下りますからお願いします、と周りの人や車掌さんに頼んでいたのと、米子駅に着いてから親戚の人が駅まで迎えに来てくれていて・・・と、いう部分だけ妙に鮮明に覚えているんですよ。向こうに行って何をしたとか、どうやって帰ってきたか?とかってゆう記憶は全然残ってないです。帰りは父親が迎えに来てくれたのかもしれません。

小学2年生か3年生の時のことです。
母親と兄弟3人で田舎に帰りました。この時のことで覚えているのは、新幹線で岡山まで行ったのですが、岡山駅にポーターさん(昔は駅に荷物を運んでくれる人がいたんです)がいたこと(多分荷物を運んでもらったのだと思います)、兄弟の中では自分だけがやたらと重い荷物を背負わされていたことです。
*僕は長男なので子供の頃は、いつも重い荷物を持っていて、妹と弟は手ぶらかごく軽い荷物だけを持って母親にしがみつきながら歩いてました、これは妹や弟がある程度大きくなっても相変わらずでしたね(笑)で、ある時、東京の家に従妹の子供達が遊びに来たんですけど、やっぱり一番上のお姉ちゃんがやたらと大きな荷物を持っていて、下の二人は手ぶらでした。どこでもそうゆうものなのですね(笑)
岡山駅は新幹線のホームから在来線のホームまで随分距離があったような気がします(先日岡山行った時はそれほど遠いと感じなかったので、子供の足で歩くには遠いという程度なのでしょう)。

この頃までは、遠くに行く=田舎に帰る、だったんですよね。
おじいちゃんやおばあちゃん、親戚や従妹たちがいっぱいいる、田舎に帰ることは、毎年の一大イベントでありました。

つづく?

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なにげに続きであります。
1977年〜81年の4年間は、父親の転勤の都合で僕はドイツに住んでいました。
この4年間は色々なところに行ったんですよ。

1年目 77年4月〜(小学校4年生の時です)
父親は我々より半年前には既にドイツに旅立っておりました。半年間でドイツ語の勉強をしてたみたいです(実際、半年後にはソコソコドイツ語を喋っていたので、凄いことです)。
ドイツに旅立ったのは4月の下旬頃でした。母親と兄弟3人で羽田空港から日本航空のアンカレッジ経由フランク行きでドイツに向ったのですが、途中アンカレッジでみんなが機外へ出るなかウチの家族だけが機内にいたのが妙に印象に残っております。飛行機はハンブルグ(サッカーの高原選手がいるところです)で一旦乗客を降ろして、更にフランクフルトへ到着しました。
*モスクワ経由の方が時間は掛からなかったのですが、ソ連上空を飛ぶのは危険だということで、北極の上を通ってアラスカのアンカレッジに一旦止まってそこからヨーロッパへ、というのが当時の主流だったのです、今だったら成田から一気に行っちゃうんですけどねぇ、当時は羽田→フランクフルト間で24時間近く掛かったような気がします。
そしてフランクフルトの飛行場に父が迎えに来てたんだったよなぁ(この辺の記憶はちょっと曖昧)、そこからデュッセルドルフという町まで、ルフトハンザで行ったんだと思います。
当時は、向こうでは我が家初のマイカーがありまして、しかもそれがベンツでした。200という名称のベンツで中古ではありましたがまだまだ買った当時は新しかったです。このベンツがオレンジ色でありまして、どこに行っても大変目立って良かったです。なんせ、ドイツといえばベンツだらけでしたから。
*学校はどうしてたか?というと、僕が住んでいた町には日本人が約4000人も住んでおりまして、ちゃんと日本人学校という日本と同じ教育をしてくれる学校があったのです。日本の学校と違うのは授業でドイツ語があるくらいでした。

さて、初めての夏休みです。
家族全員でベンツに乗ってスイスに行きました。
山を見たり(マッターホルンとか)、トンネル越える電車に車を乗せたり、ってゆうのが記憶にあります。
レマン湖の噴水も高い噴水でありました。
*向こうで旅行する時のホテルへの宿泊ですが、予約なんかは取って行きません。夕方着いた町で宿に直接行って、5人で泊まるといくらか?と、聞いてそんなに高くなければ泊まるし、高ければ他所を当たるという感じです。相場的に5人泊まって朝食付きで1万くらいだったかなぁ?

冬休みはパリで過ごしました。凱旋門広場の近くのホテルに泊まって。
パリといえばルーブル博物館行ってベルサイユ宮殿などに行きました。冬休みということもあったからかもしれませんが、当時のパリはそんなに観光客で溢れ返ってはおりませんでした。
当時は子供だったからかなぁ?ルーブル博物館とかベルサイユ宮殿とか、もの凄く大きな建物で中も迷路みたいでビックリしました。
あとは、エッフェル塔とかノートルダム寺院ですね。パリ市内では危ないということで、地下鉄とか乗って移動してましたね。

2年目 78年
夏休みは、ユーゲントハイムという引率のお兄さん数人と子供たちだけで行く旅行に参加しました。
この旅行は3週間、同じところに滞在します。日本人は、僕とY君の2人しかいなかったけど、なんとかなったんですね。
ヘルゴーランド島という北海に浮かぶ小さな島に行ったのですが、知ってる人はまずいないよね?夜行列車に乗って、クックスハーフェンというハンブルクの近くの港に行き、そこから船に乗って島に行きます。小さな島なので大きな船が停泊出来る港もなくって、カッターに乗って島に上陸するんですよ。ユーゲントハイムはユースホテルのようなところに泊まるのですが、8人部屋くらいだったのかなぁ?なんとなく2段ベッドだったのは覚えています。
ヘルゴーランド島は、周囲が5kmくらいの島で島の端っこに、かなり特徴的な岩がありました。実はこの島は第二次世界大戦の時にイギリスが地図からその存在を消すべく猛爆撃をしたそうです(消えなかったんだけど、かなり小さくはなったようです)。
凄くいいところだった記憶はあるのですが、それを文章で表現するのは極めてむづかしいです。
*そのうち写真とか見つけたら貼っておきますね。

この夏は家族旅行でイギリスにも行ました。イギリスへは車でフランスのカレイという港町まで行って、フェリーでイギリスに渡りました。イギリスに着いたらロンドンまで一気に高速で行って、しばらくロンドン観光してました。イギリスはヨーロッパの他国と違って日本と同じ左通行なので、車の運転はむづかしかったようです。
ロンドンといえば、ビッグベンとか大英博物館、王宮、なんかを見物して、マイセンという陶器を買っていたのが記憶に残っています。
ロンドンからは、シェイクスピアの生まれた町とかに寄りつつ、スコットランドのエジンバラに行ったり、ネッシーで有名なネス湖に行ったりもしました。
どこへ行ったかすら、なかなか思い出せなかったくらいなので、イギリスは印象が薄かったのかもしれません。

冬休みは、南ドイツへ行ったんだと思います。
ローテンブルグ(父親が半年間ドイツ語の勉強してたのはこの町だったんです)、ロマンティック街道、ノインシュバムシュタイン城なんかを回りました。ノインシュバムシュタイン城は、日本で最も有名なドイツのお城だと思うのですが、実際間近で見ると、それほどいいものでもなかった気がします。あのお城は遠くから見てこそ綺麗なんですよね。
あとは、ミュンヘンとか行ったんだったかな?ミュンヘンは自動車工業の街で、車の博物館とか行きました。

3年目 79年
文章だけのページでここまで読んでる人はいるのだろうか?という素朴な疑問を持ちつつも3年目です。
この年の夏もユーゲントハイムに行きました。
オーストリアのツェール・アム・ゼーというところだったと思います。湖のほとりで、周りは山に囲まれた美しい町でした。
泊まっていたところも湖のほとりで、泳いだような泳いでないような。。。
この時は、日本人の子が10人くらいいたので、ずっと日本人の友達とつるんでた気がします。

家族旅行では、北欧に行きました。
ドイツに住んでいる間、色々な所へ旅行に行きましたが、この北欧旅行が一番印象に残っています。
まずは、デンマークへ向い、どこかで短距離のフェリーに乗ってコペンハーゲンへ行きました。車の中で寝て早朝にコペンハーゲンに着いた記憶があります。チボリ公園(だったかな?)という遊園地に行ったのですが。まだ乗り物が動いてなくってがっかりした記憶があります。
更に北へ向って、フェリーに乗って(全く覚えてませんが)、スエーデン行ったのですが、夏ということもあってこれくら緯度が上がると、全く日が沈みません!いわゆる白夜というやつですね。ストックホルムに泊まって、山の中をグルグル走りながら、ノルウェーへ。オスロでバイキングの博物館とか見て、どかで船に乗ってフィヨルドを見物して、またフェリーに乗って戻ってきました。
*北欧がいいというのは、北国の大自然が素晴らしいという、現在北海道に惹かれるのと同じ理由ではないかと思います。北海道が好きな人はきっと北欧も気に入ると思うな。

あと、この年は小学校6年生だったので修学旅行がありました。南ドイツの遺跡巡りです、トゥリアーというところに行ったんですよ。
*大学受験の時は地理で受験したんですけど、答えがトゥリアーという問題があって、ド忘れして答えられなくて悔しかったです(当然その大学は落ちました)。

友達と2人で電車に乗って、日帰りでオランダのロッテルダムというところまで遊びに行ったりしました。この旅も楽しかったです。

あと、週末の旅行でアムステルダム行ったのですが、帰ってくるのに、どうしても電車で帰りたくて、1人で特急に乗って帰ってきた時もあったなぁ。

この年の冬休みは、ベルリンに行きました。
当時は西ドイツと東ドイツに分かれていた頃で、ベルリンの壁もまだあったんですよ。車で行ったのですが、東ドイツへ入る国境はかなり厳しい検問でした。西ベルリンから東ベルリンの国境は更に厳しいということで、地下鉄で行きました。と、いうか、西ベルリンと東ベルリンが地下鉄で結ばれていたというのは今から思えば凄いことでしたね。
ベルリンの思い出といえば、やはりベルリンの壁ですね。西側からはちょっとした展望台なんかもあって向こう側が良く見えるのですが、東側にはずっと鉄条網が張ってあるのが印象的でした。あと、ベルリンでサッカーの試合を見たなぁ。

4年目 80年
確かこの頃には、テントを買っていて旅行に行くと何泊かはキャンプしてました。
夏休みは南仏に行きました。モナコがある方です。モナコのホテルは料金が大変高く、家族で泊まるとなると4〜5万コースだったので、一旦、イタリアに抜けて、イタリアで泊まった記憶があります。あとは、リヨンとかコマーシャルの舞台になっていた、海岸にあるお城(名前は忘れました)などを観光して、帰りにパリに寄って観光しました。
パリから帰る時も、またまた1人で電車に乗って帰りたい!と言って、自分で切符を買うならヨシ!ということで、父親から「おまえのカタコトの英語と、フランス人のカタコトの英語ならなんとか通じるだろう」という、今から考えるとかなり無謀な考えで、切符買いに行きました。とりあえずパリ→ブリュッセル間の乗車券と特急券をパリで購入。フランス・ベルギーの国境では電圧が変わるので、電気機関車のパンタグラフの切り替えがあるという、鉄道少年にとってはちょっとドキドキな体験をしつつブリュッセルへ(体感的にはちょっとスピードを落としたかな?という程度のものなのですが)。ブリュッセルでまた乗車券を買ってケルンへ行き、また乗り換えして、帰ってきました。
後から考えたら、乗り換えする度に乗車券を買わなくても、パリから一気に乗車券を買えたんでしょうけどね。。。
結局、この旅行の記憶は、パリから1人で電車で帰った!というのが大半を占めます。

冬は最後の旅行ということで、みんなで飛行機に乗ってローマに行きました。
ローマは流石に観光名所ですね。コロシアム・トレビの泉・真実の口などなど色々なところを見ました。絵画ではミケランジェロの最後の審判という絵があるのですが、この絵はかなり衝撃的な絵で、今でもちょっと覚えてます。
あと、バス旅行でナポリに行って、ナポリタンスパゲティーを食べました。これは美味かったですよ〜
*ヨーロッパといえば、各地に美術館がありますし、お城に行っても絵がありますし、教会にも絵が・・・ということで方々で絵や彫刻を見る訳ですが、特に記憶に残っているのは、この最後の審判とルーブルにある、ミロのビーナスかな?
ローマで一番印象に残っているのは、実はホテルで見た、機動戦士ガンダムだったり。。。イタリアってテレビで日本のアニメをいっぱいやってたんですよ。

81年の3月に日本に帰ってきたのですが、帰りはデンマークのコペンハーゲンまでルフトハンザで飛んで、SAS(スカンジナビア航空)のDC10で成田までまたまたアラスカ経由で帰ってきました。帰りの飛行機の機内音楽プログラムで聞いた、ABBAのダンシングクィーンがやけに印象に残っているなぁ。

ふぅ、なんか凄い文章の量になってきた。。。

学校
ドイツに住んでいた頃は、前述した通り日本人学校に通っていたんだけど、行きは父親の車で送ってもらって、帰りは路面電車で帰ってきてました。路面電車はザンメルカードという4回乗車分の券を買って、それを電車の中の機械に通すと穴があくというシステムでした。僕が住んでいた、デュッセルドルフという街は路面電車が方々を走っていたんですよ。あとは連結バスもいっぱい走ってました。
日本人学校は、週休2日制だったのですが、その分月〜金曜日は毎日7時間授業だったんですよ。
部活もあって、僕はソフトボールとか野球とかやってました。

お買い物
毎週1回、郊外の大型スーパーマーケットで大量に買い物をします。向こうでは水道水が飲めないので、水とかビールとかジュースなんかを大量に買ってました。お米なんかもカリフォルニア米なら買えましたので、普段は日本食がメインです。後は近所のスーパーマーケットとかでお買い物してました。

旅行
父はドイツにいる間は、夏休みが2週間、冬休みも1週間以上取れたんですね。だからこれだけ家族旅行が出来たんですけどね。あとは週末旅行も色々行きましたよ。ドイツ国内はもちろんのこと、オランダくらいなら余裕で日帰り圏内でしたね。
あと、友達とサイクリングというのも何度か行きましたね。
*ウチの父親は、将来外国に行って車を保有したい!という夢を学生の頃から持っていて、その為に学生の頃から一生懸命英語の勉強してたらしいんですよ。だからドイツに行けた訳で、、、僕も一生懸命勉強してればねぇ(汗)

写真です(ちょっと)
記憶だけを元に書いてて、後でアルバム見たら、イギリスと北欧の順番が逆でしたね。まぁいいや(汗


中2で日本に帰ってきてからの中学時代は、田舎に帰ったのと箱根に行ったのと、修学旅行で京都・奈良に行ったくらいかな?
中2の時に田舎に行った帰りには京都の友達のところに寄ったなぁ。家族で田舎行って一人で帰ってきたのかな?
に銀閣寺とか立命館大の近くの家で、交通博物館とか行った記憶があります。
清水寺の近くのお土産屋さんで初めて八つ橋を食べたのですが、とても美味しかったですね。
修学旅行でも京都に行ったんですが、京都よりもむしろ奈良の方が記憶に残ってます。鹿とか大仏とか。

高校時代も大したところ行ってないですね。田舎と修学旅行くらい。あと部活の合宿(旅ぢゃないし)
一人で田舎に帰るのに、山陰という京都発の山陰線を走る夜行の各駅停車に乗ったなぁ。確か今はもうないはずです。
この頃になると従兄弟が車を運転するようになっていたので、色々連れて行ってもらいましたよ。
大山とか鳥取砂丘とか出雲大社とか。
修学旅行は北陸で能登半島を一周したのですが、能都半島一周はバスだったので流石に退屈でしたね(苦笑)
バイクに乗って自分で走ればまた違うんでしょうけどね。
そういえば、受験勉強の合間に山登りに1人で行ったときがあったなぁ。
山登りと言っても家から1時間くらい電車に乗ったところで大した山ではなかったんですけどね、これ結構、記憶に残っていたりします。
卒業旅行も同級生3人で、奥多摩の国民宿舎に1泊して山登りに行ったなぁ。3月なのに大雪が降った後で大変でした。

1浪して大学入ったんだけど、大学時代は更に旅行してないですね。
大学入る前に予備校の仲間で蓼科行ったとかはあったなぁ
大学生の頃って、体育会に入っていたので本当に忙しかったかったんですよ。
毎日ひたすら部活とバイトの毎日でした。えっ?勉強?(汗)

社会人になってからも、そんな大して旅に出てないんですよね。
入社2年目の冬に1週間休みを貰って、当時父親が単身赴任で行っていたタイに遊びに行ったんですよ。
成田からバンコクに飛んで、まずはバンコク観光です。
2月なのにバンコクは凄く暑かったです。バンコクではデパート見に行ったり、宮殿を観光したりむきだしの車のエンジンを積んだボートで観光したりしました。
街中をブラブラして疲れると、その辺にあるホテルに入ってトロピカルドリンク飲んでたなぁ
夜はタイスキ食べたのと、中華料理屋で北京ダック食べました。
3日目はパタヤに行こうということで、前日ツアーを申し込んだのですが、ツアーの集合場所に行くと何故か僕と父の2人だけ。
イスズのピックアップに乗せられ、運転手の極度に下手くそな運転のせいで滅多に乗り物酔いしない僕ですが、パタヤに着くころにはゲロゲロ状態でした(苦笑)
パタヤに着くと更に船に乗って、島に行きました。とても奇麗な島でマリンスポーツを楽しみましたよ。水上スクーターとかパラシュートとか。
で、この島で昼ご飯食べたんですけどね、これがモロにあたりました・・・
翌日は、父の住むアユタヤに行ったのですが、もう下痢しちゃって大変(汗)
結局2日くらい父のアパートで寝込んでました(その間父は会社行ってました)。
アユタヤはちょっとしか観光出来ませんでしたが、遺跡とか見たのと市場を見た記憶があります。
タイは活気があって面白い国でしたよ。

も、もうちょっとで終わる予感(爆)

忘れた頃に更に続きです。
流石にもう読む人いないかな???
平成8年の夏、結婚式終わった翌日から、新婚旅行ということで成田空港からドイツのフランクフルトへ旅立ちました。
1時の飛行機だったと思うのですが、飛行場のカウンターに着いたのが、搭乗手続きギリギリの11時でした、お陰さまで?エコノミーが満席になっていたため、ビジネスクラスに振り替えてもらいました(笑)ええ、もちろん追加料金などございません。
ビジネスクラスってゆうのは凄いんですよぉ!とりあえず飛行機はまだ成田空港の滑走路にいるというのに、もう既にグラスのシャンパンが出てたりします。万事その調子で、なかなか贅沢な空の旅を楽しみつつ飛行機はあっという間にフランクフルトへ到着です!
さて、このヨーロッパ旅行ですが、団体のツアーなどという洒落たものではございませんで、予約してあるのは飛行機のチケットと宿とレンタカーのみです。
フランクフルトの飛行場に着くと早速、電車に乗って市内まで。自分でホテルを探してチェックインして、また街へ出てドイツ料理屋さんへ、適当にメニューを指差し、これとこれを、とオーダーしてみると、何とか食べられる物が出てきました。
筆者はドイツに住んでいた経験があるにも拘らずドイツ語は挨拶程度、英語も中学生程度
翌日はホテルのバイキングで朝食を取り、レンタカー屋さんへ。よく分からないうちに保険代ということで1万5千円くらい払いつつ(レンタカー代は別途払ってるから、今から考えると非常に高い!)借り受けた車はゴルフの1800ccでした。
とりあえず私にとっては異国の地での初運転です。やはり慣れない左ハンドル、慣れない右側通行、途中何度方向指示器を出すつもりでワイパー動かしたことか・・・
まずはライン川に出て、ライン川に沿って北上してみます。途中ローレライの岩、古城などを観光しつつ大聖堂で有名なケルン市へ、大聖堂を見学して、更に本日の宿泊予定地であるデュッセルドルフまで行きました。
デュッセルドルフは、昔私が住んでいた町です、昔行っていた学校、昔住んでいたいた家を見に行ってから、市内を走ってみるとやはり15年前とは街の様相は大きく変わっていてビックリしました。
*夏の時期のヨーロッパは白夜というほどではないのですが、夜は8時頃でも明るいので余裕で観光できます。
翌日はデュッセルドルフのデパートなどに寄りつつ、お昼頃までには飛行場へ。
レンタカーを返すのにガソリン満タンにしたのですが、向こうはセルフが主流だったんですよ。当時は日本にはセルフのスタンド無かった時代ですので、入れ方にとまどったものです。
デュッセルドルフの空港からはお昼頃発って、一路フランスのパリ、シャルルドゴール空港に降り立ちました。
パリでは市内のバス、電車などが全てフリーで乗れるチケットがあるので、それを空港で購入してまた例によって自力でホテルまで行きました。ホテルは市内の中心部、ルーブル美術館まで歩いて行けるくらいのところでした。なので着いたその日(夕方でした)に、チェックインを済ませた後にルーブル美術館見学に行きましたよ。
パリでは4泊したんだったかなぁ、とにかく先に買ったフリーの乗り物券だけを使用して、あっちこっち観光してました。ベルサイユ宮殿も行きましたし、エッフェル塔も登りましたし、ノートルダム寺院、ユーロディズニー、サクレクール寺院、凱旋門、オルセー美術館などなど、とりあえず満足いく観光が出来たと思います、かなり疲れましたが。。。
あと、ウチのカミさんはお買い物大好きなんですよ、ホテルで近くの大きなデパートの割引購入券をくれたんですよ、これのお陰でほぼ毎日1度はデパートも行ってました。
*パリの市内観光は地下鉄とバスを併用すると便利なのですが、異国の地でバスに乗るのってドコ行くか良く分からないか   ら怖いですよね、ですから私らは地下鉄と徒歩で移動してました。

そんな訳で、新婚旅行はこんな感じでした。
自分で計画立てて、自分の好きなように観光する旅でした。
私的にはツアーで回るよりもエキサイティングで楽しい旅でしたが、カミさんはどうだったんでしょうね?
因みに、彼女は海外行くこと自体初めてでした(この後は、何度も行ってるんですけどね)。


あとはねぇ、JR東日本週末乗り放題券という企画があって、2人で青森まで一泊二日で行ったなぁ
新幹線・特急の自由席乗り放題だったんだけど、流石に青森はハードでした。帰りに盛岡寄ったらチャグチャグ馬っこのお祭り見ることが出来てちょっと得した気分だったですけどね。
これから、大分後になってからバイクで青森まで行って北海道に渡ることになるんですけどね。


この旅行記は、記憶だけを元に書いております。行った年が違う可能性もありますし、地名が間違ってる可能性も多分にあります。

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